旧統一教会だけじゃない!宗教二世が考える「子供に信仰を強いるのは虐待」論

前後に並んだ3つの花 コラム
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2022年8月、「旧統一教会」が大きな話題となっている。

霊感商法、高額な壺、家庭崩壊するほどの献金、合同結婚式etc.と、かの宗教団体は既に国内で「カルト」と認識されている状態だ。

しかし、親の信仰が子供に大きな迷惑をかける可能性があるのは、旧統一教会だけではない。

私自身、親が某宗教団体に入信したおかげで、今にして思えば子供の頃から多大な迷惑をこうむってきた。

はっきり言わせてもらえば「子供に信仰を強いるのは立派な虐待」である。

告発などという大それたものではありません。

また、宗教がらみで金銭的なトラブルが起こったことはありませんし、家庭崩壊・家族断絶みたいな深刻な経過をたどってきたわけでもありません。

親の信仰が原因で、学校で差別をされたこともありません。

ですが「カルトじゃなければいいの?」「深刻な被害に遭っていなければいいの?」「今が幸せならチャラにしていいの?」という気持ちが捨てきれず、今回ブログを書かせてもらいました。

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親が入信した宗教

私の親が現在も関わっている宗教は、決して旧統一教会のようなものではない。

高額な献金を迫られることもないし(多分)、怪しげな置物を買わされることもない(仏壇もまぁ、怪しいといえば充分に怪しいが)。

日本国内外で広く認知され、国内の芸能人はもちろんのこと、海外の有名俳優が実は学会員だったという話もチラホラ耳にする。

親が入信したのは、私が小学校1年生のときだった。

記憶が曖昧ではあるが、おそらく母方の祖母経由だったのではないかと思う。家に知らない人が来て、長く話し込んだ上、やがて妙に盛り上がった感じで握手などを交わしていたのを憶えている。

感涙していた人もいたような……。

さらに記憶が曖昧だが、いつの間にか当時の狭い団地の部屋に仏壇が登場した。

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強制的にやらされた「勤行」と「題目」

親が宗教団体に入信した後の大きな変化は、朝晩の「勤行」と「題目」だった。

仏壇の中にかけられた、何やら難しい言葉が書き連ねられた小さな掛け軸のようなものに向かい、声をそろえて「教本」にかかれた文章を読み、その後は手のひらを合わせてひたすら7文字の文句を唱え続けるのである。

今から思えば30分かそこらだったのかもしれないが、子供の頃は、いつ終わるとも知れない苦行だった。

ずっと正座だったし(足を崩すと怒られた)。

あくびもダメ。上の空もダメ。当然、ご飯はお勤めの後!

成長するにつれサボることを覚えたが、3日もサボると親の機嫌はすこぶる悪くなり、何か良くないことが起こるといったニュアンスの脅し文句があった。

ほんと、いったい何だったんだろう、あの日々は?と今でも思う。

親がやるのは構わない。

だが、それを子供に強制するのはいかがなものだろう。

度を超えて子供に勉強を強いることを、昨今「教育虐待」などというようになった。強制的な長時間のお勤めも、充分それに当てはまるのではないかと私は思う。

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我が家の謎ルール

朝晩の強制的なお勤め以外にも、我が家には宗教がらみの謎ルールがあった。

それが、宗教団体で統一されているマニュアルなのか親が勝手に決めたルールなのかはわからない。

例えば、以下のようなものである。

  • 仏壇に足を向けてはならない
  • 中の掛け軸を指さしてはならない
  • 神社の鳥居をくぐってはならない
  • 炊き立ての白米をお供えする(器に盛る前に混ぜちゃだめ、息をかけちゃだめ)
  • 団体や教祖の悪口はご法度
  • 会合に参加しなければならない

これらの謎ルールを守らないと「罰が当たる」と言われた。

今だから言えることだが、恐怖心を植え付けて洗脳するっていう言葉がぴったりだと思う。

実際、当時の自分にとっては、なんだかよくわからないけど大事(おおごと)だった。絶対有り得ないのに、仏壇に足を向けて寝たら事故に遭って足に怪我をするか病気になって足を切らなきゃいけなくなる、と信じ込んでいたのである。

だって、そう言われていたから。

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恐ろしい「宗教・学会至上主義」

私の親は宗教団体に入信してからというもの「宗教・学会至上主義者」になった。

良いことがあると信仰のおかげで、悪いことや上手くいかないことがあると信仰が足りないからだと考えるようになった。しかも、それを子供にも強要した。頑張って勉強をしてテストで良い点数を取っても、それは個人の努力ではなく信仰のおかげなのだ。

嬉しかったことを親に話すと「ちゃんと信心してたからだね」と言われた。

絵に描いたような、のめり込みっぷり!!

仏壇だってそんなに安いものではなかっただろうし、仏壇にそなえる樒(葬儀や法要の時に見かける、花のつかない鮮やかな緑の植物ですね)もいつも買っていた。一般紙をやめて教団の新聞を2種類と、冊子も購読していた。

子供が学校で使うスキー用具すら知り合いからの古いお下がりで我慢させてたのに、今振り返ってみると、ただの貧乏じゃなくて宗教貧乏だったんじゃないかと思う。

1回に出す金額が少ないから問題になっていないだけであって、極端な話、高額な壺を分割で購入するのと変わらないのではないだろうか。

親の趣味が原因で家が貧乏だと親は責められるだろうけど、宗教なら責められないっていうのも、なんだかなぁと思う。

ついでにいうと、選挙活動にも熱心である。

今ちょうど政治家と旧統一教会の関わりが取り沙汰されているが、選挙活動を無給で手伝ったり票集めをしたりする点では似たようなものだと思う。カルトじゃなければOKなの?と言いたい。

けど、これを言い始めるとキリがないのでやめておく。

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知識不足につけこんだ超偏向的な思想

当時、幼い子供が犠牲になる衝撃的な事件が世間を騒がせたことがあった。その時、親が「被害者の家の先祖が、過去に御本尊(多分、仏壇の中にある掛け軸のこと)を焼いたから不幸な目に遭ったんだ」と言ったことを、今でも憶えている。

私の親にそんな情報収集能力があったとは思えないので、おそらく学会員が集まる会合か何かで耳にしたのだろう。真実かどうかも、わかったもんじゃない。

このトンデモ発言に代表されるように、自分が信仰している宗教のみが正しくてその他はすべて間違っている、という思考を親は持っていた。

本も映画もすべて、異教と思われるものは排除。信仰を同じくしている役者やスポーツ選手を、それだけの理由で応援するようになった。逆に、好きだった俳優や歌手が異教徒だとわかると、見損なったなどと言ってファンを辞めた。

信仰の自由は結構だが、その他をすべて否定してそれを信者に教え込もうとするなんて、どれだけ度量の狭い神様なんだろう。

それがまかり通るなら、学会員だけが幸せになっていて世の中の大多数の人が不幸な人生を歩んでいることになってしまうではないか。

って、こういうことを言ったら、幸せになっていない信者は信仰が足りていないってことだし、他宗教で幸せに暮らしている人も本当のところはどうかわからない、なんて返してくる。挙句の果てに、来世がどうとか……。

ましてや、人の不幸を「宗教のせい」と言える神経って!!

成長するにつれ、親が信仰している宗教に不信感が募っていったのは、この偏向的な思想が原因だったのではないかと思う。

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独立しても続く迷惑行為

いわゆる「二世」は、親元から離れて暮らし始めても組織から離れることはできない。

引っ越しをすると親が勝手に団体に住所を報告し、その居住地の「支部」に所属する形になる。

そして、その支部に所属する熱心な学会員がアポなし突撃訪問をしてくるのだ。内容は主に、新聞購読のお願いと会合のお誘いである。「どうしていらっしゃるかと思って」と意味のない訪問も何度かあった。あと、選挙が始まると投票のお願い。

これには本当に閉口させられた。

事前に連絡があるわけではなく、とにかく突然訪ねてくるのである。友達や恋人が遊びに来ていたら迷惑になるとか想像しないんだろうか?と単純に不思議だった。

まさに非常識の見本のような人達。

そして、タチの悪いことに「連絡しないで来るのはやめてほしい」と言ったところで、のれんに腕押し。なぜなら、嫌がられても一生懸命活動することが自分の幸せと世界平和につながる、と学会員は本気で信じ込んでいるからである(多分)。

他人に迷惑行為を繰り返しておいて、世界平和とは聞いてあきれる。

カルトではなくても、大きな被害には発展しなくても、このように地味にちまちま嫌な思いをさせられている二世はいるのだ。

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脱退を決意

結婚して子供が生まれた頃には、私と団体との関係はほぼ絶たれていた。

だが、たまに思い出したように訪ねてきたり(選挙期間とか)電話がきたり、ポストに手紙や冊子が入っていることがあったので、完全に縁を切ることを決意。

親に「お母さんの意見は聞かない。説得も無駄。とにかく私が住んでる所の偉い人か誰かに連絡とって、脱退手続きするように言って。それをやらないなら学会の本部でもどこでも調べてクレーム入れるし、Twitterで広めるし、なんなら接近禁止命令の申請でも何でもやるからね」と脅す(そんなことできるわけないのに)と、世間知らずの親はすんなり了承した。

もしかすると、自分の子供が団体に迷惑をかけることを恐れたのかもしれない。

その後、支部の代表者みたいな人と連絡を取ることができ、親から無理やり持たされた掛け軸(御本尊とやら)を回収しに自宅に来てもらうことで話がついた。

幸いだったのは、団体から脱退することで親子の縁を切るとかいう事態にまで発展しなかったことである。

でもきっと、やっぱり親が大事で脱退に踏み切れない二世もいると思う。または、脱退が原因で親と疎遠になったり縁を切られたりした人だっているんじゃないだろうか。

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親の信仰に子供が従うのは普通?

旧統一教会やその他カルト教団、今回いろいろ書いた某宗教団体は極端な例だが、実際のところ、親の信仰に子供が従うのは普通のことなのだろうか?

例えば欧米では、家族そろって日曜日のチャーチ・サーヴィスに出かけるのは一般的なのだろうし、それに疑問を持つ子供は少ないと思う(行くの面倒だなぁ、というのはあるかも)。

救いがあれば神に感謝するし、不幸があれば自然と祈る(Play)し、何かとんでもないことがあったら「ジーザス」という言葉が出てくる。

ある意味では、身近にある宗教に何の疑問も持たず自然と馴染んでいるのだろう。

宗教に詳しいわけじゃないから、このあたり何とも言えないけれど……。

私にしたところで、強制的なお勤めやルールや迷惑行為がなければ、別に何とも思っていなかったかもしれない。

だが、信仰の自由は子供にもあってしかるべきだと思う。

少なくとも、親が信仰している団体のように子供が自動的に入信させられる仕組みはどうにかするべきだし、やりたくないことを無理にやらせたり行きたくない場所に無理に行かせるのはおかしいのではないだろうか。

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二世は声を上げて欲しい…そして自分の自由を取り戻して

今、旧統一教会の流れで宗教二世の声が取り沙汰されている。

一方、二世だって幸せになれるはずだ、という意見もある。要は、親の行動云々ではなく自分をしっかり持って自分の責任においてしっかり生きていくべきだ、ということなんだろう。

自分の不幸を親の信仰のせいにするな、というようにも聞こえる。

だが、本当にそれで良いのだろうか。

二世でも親の宗教にとらわれず自由に幸せに生きているのは、本人の努力もあったかもしれないが、ただ「幸運だったから」ではないだろうか。

親の物分かりがわりと良かった。
狂信的なのめりこみ方ではなかった。
家以外の居場所があった。
親以外の理解者がいた。

こうやっていろいろ考えると、「二世が不幸になるとは限らない」と、ひとくくりにしてはいけないと思う。

私にしたところで、親に対して押しが強く理屈が得意で多少のハッタリが効いた、という理由で宗教と縁を切れたのだから。

外野は簡単に「親なんだから話し合えばわかる」とか「自分の人生なんだから自分で決めるべき」とか「逃げ出せばいい」なんて言わないで。それが出来ていれば、二世で苦労している人なんていない。

これまで辛い思いをしてきた、また今でも迷惑をこうむっている宗教二世の人達は、少しでもいいから声を上げよう。Twitterでも何でもいい。

何の疑いも持たず子供に信仰を強要している人は、今一度考えなおして欲しい。子どもの幸せを願っての行為なのは、わかる。私の親もそうだった。

だが、信仰を子供に強いるのは虐待である。

親の信仰が子供を幸せにするとは限らないのだから。

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